現在、日本の政治主体は民主主義ではあるが、果たして民主主義にふさわしいものであるかという疑問があるのだ。というのも、日本の民主主義は、アメリカの民主主義と比較した場合、事が起こってからも変化を良しとしてない部分があるのである。
これは、簡潔に説明するが、日本人に何らかの危害を及ぼす対象が表れても、その存在を認めてしまい、排除しないということだ。つまりは、アメリカの民主主義は国民に対して、自分たちが置かれている状況を分かりやすく説明したうえで、国民に対してその問題をどう解決するかを問うのであるが、日本の場合、問題が起きてから問題を解決することなくなかったことにするが故、現在でも、なかなか、コロナ対策などをきちんと遂行することができないのである。
さらに言ってしまえば、民主主義はリーダーとなる人物、総理大臣や大統領という人物が事が起こった際、最前線に立ち、その問題解決のために動くのであるが、日本の場合、そのリーダーが全く動かないが故、国民が自ら有事の際に行動するという問題が起きている。
これを問題にしないのはおそらく、日本は政治家に柔軟性を持たせるということができないが故、政治家は一種のお飾りのようなものである言い切れるのだ。他の民主主義国と比較した場合、日本は政治家を必要としてないのではないかと錯覚する部分はまさにそこで、実際の所、政府は民衆をコントロールすることもなく、民衆も政府を信用することが無いため残念ではあるが、日本の民主主義は別に政治家を必要としてないと言い切れるのだ。
政治家を必要としなくとも、経済は回るし、法律も既存の法律を用いればおおよそのことは解決できるであろうという考えがあるため日本は民主主義というより、実は政治家の存在を必要としない無政府でも周囲は機能するのではないかとさえ言われるのは、警察にしろ、消防にしろ、皆が独立して活動をしているが故絶対的な決定権を実は政治家は持ち合わせてないのではないかという答えであると言える。
であるからして、日本は、言い方を悪く言えば、現状の所民主主義という形で政治的な判断を持つとしているが、民主主義から鞍替えをして社会主義や共産主義に変化しても実際の所、日本式の独自の政治基盤になるため、民主主義や社会主義に、共産主義のいずれにも当てはまらない政治になるのだ。
これを良いことであるとらえるかどうかについては、同盟国を自由に選べるのではないかという問題になるのだが、悪く言えばどちらにつくかわからないという政治基盤は言ってしまえば、誰にもつかないとも取れるため、恐らく出るが、いずれ同盟という物の見直しを迫られる必要性があると思われる。
一方、中国はというと、巧みに周囲に自分たちの文化や産業を取り入れさせることで依存させることで地位を確立し、半ば脅すような形で味方につけるという荒業をやってのけている分、中国の戦略は共産主義の最も中枢部分である拡張するという主義と合致するのだ。
ただ、この拡張主義も実はある問題を抱えており、大きく文化圏を延ばせば伸ばすほど、味方が増えるのかと言われるとそうではなく、文化だや技術だけを会得し、肝心な時には裏切るという選択を取られることがあるのだ。
例を挙げるが、フィリピンがまさにそれを実行した国で、ある程度文化や技術の援助を受けておきながら肝心なポイントで裏切ることで得だけを得ることをした国もあるのだ。ただ、フィリピンはその後中国とのパイプが薄まったため他の援助国をあたるということになったのだがそれでも肝心な時に裏切ることが可能であるということを考えると、共産主義は実は案外弱い部分がある。
日本の場合、形式上民主主義と名乗っているだけであるため、言い方が悪いが日本独自の政治基盤とすることで事なかれ主義に変化させることも可能で、要は民衆の声を聴くことを放棄することも可能で、その結果がコロナ対応であるともいえるのだ。要は、丸投げに次いで丸投げ、または、疫病の対応を後手後手に回り行い、国民を呆れさせ挙句、国会議員を特別扱いにすることでもはや誰も、国民は政治を見てないのである。つまり、日本の場合、リーダーという存在がいなくても国民は日々生活できればそれでよしとするため、選挙などどうでもよく、言ってしまえばリーダーも誰でもよいのである。
ここが他の民主主義と異なる点で、誰がリーダーでも一緒であるという風潮は日本が独自の政治基盤で何も憲法を大きく変えたりしないが故国民も自分たちの生活が困らない限り暴動を起こす必要もなく、暴動を起こしたところで無駄であると踏んでいるが故誰も政治に参加したがらないのである。誰も政治に参加しないものを果たして民主主義であるかとした場合、恐らくではあるが民主主義とかけ離れた何かであると言え、無政府でも日本は機能するとさえ言われるのは政治家に対してマイナスのイメージしかなく、もはや、国民が政治家が不要であるとすら考えている結果だと言えるのである。
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