- 石油利権の始まり
- 見つからない石油
- 政権転覆
- MR.Oと石油
石油利権の始まり
今日は石油利権に焦点を当てます。
ダーシー利権
- 1901年にウィリアム・ノックス・ダーシーとペルシャ国王モッツァファル・アル・ディンとの石油採掘権。またペルシャの石油探査権である。
- ダーシーはイギリス生まれである。彼はオーストラリアに渡り、金鉱利権を獲得した。そしてダーシーは大金持ちになったのである。そしてイギリスに戻る。
- ダーシーの次のターゲットはペルシャの石油利権であった。
- ペルシャには大量の石油が眠っているという研究や報告が発表されていた。
- この事業に投資すれば莫大な富を得られる可能性があった
- ダーシーはペルシャでの石油利権を獲得を狙い、イランのテヘランに使者を送った
- そしてペルシャ国王との交渉が始まった
- 1901年、ダーシーの使者とペルシャ国王アルディンは石油採掘権の交渉に入った
- ダルシーの交渉はうまくいった。国王に契約締結のための追加で5000 ポンドの金を積んだからだ
- まんまと獲得した独占的利権 (探鉱、探鉱、開発、輸送、販売)
- 天然ガス
- 石油
- アスファルト
- 鉱物性ワックス
- 控えめにいってこの交渉は大成功である。控えめにいって。
- では国王側は何を受け取ったのだろうか
- 現金 2 万ポンド
- 2 万ポンド相当の株式
- 年間純利益の 16%
- つまり年間純利益の84%はダルシーのものである。
第一条 国王陛下政府は、ペルシャ帝国の全域において、天然ガス石油、アスファルト及びオゾケライトを探し、入手し、開発し、開発し、貿易に適したものとし、持ち去り、販売する特別かつ排他的な特権を、本提示の日から起算して六十年の間、本提示により譲受人に付与する。
権益者が取得することができるすべての土地、並びに輸出されるすべての製品は、すべての課徴金及び税を免除されるものでなければならない。鉱床の探査、作業及び開発、並びにパイプ線の建設及び開発に必要なすべての材料及び装置は、すべての税及び関税を 課さずにペルシャに入国しなければならない。
https://en.wikipedia.org/wiki/D%27Arcy_Concession
- なんと60年の利権をダルシーはゲットしたのである。そして開発に関わるものは全て無税。
- 控えめにいって、この交渉はまんまと大成功したのであった。控えめにいって
- これらの大量の商業的な石油が発見された後、1909年にはアングロ・ペルシャ石油会社がこの鉱区を引き継いだ
国と国の思惑
- イギリス帝国とロシア帝国の対立
- イギリスとロシアはペルシャでの影響力を争っていた
- ペルシャと中東が帝国の経済的、軍事的利益にとって重要であると考えていた。
- 石油資源にはマネー面でも、軍事面でも資源戦略としても莫大な力がある。争うのは当然のことであろう。彼らは喉から手が出るほど欲しかったのである。人様の国の石油を。
- イギリスはダーシーが石油利権を獲得することを支持した。
- ロシアは国王とダーシーとの石油交渉に妨害工作を行った
- 石油利権は国と国のパワーバランスを大きく変えてしまう魔の力を秘めているのである。これは現代でも変わらない法則である。
- 石油を知ることは、戦争、経済、政治、国際情勢、天候、外交 ..etc を知ることと同義である。石油は全てを内包している。
石油枯渇の嘘
- ちなみに石油が30年で枯渇するという話はデタラメである。
- 1973年に、石油は後30年で枯渇すると言われていた。
- 2003年に石油は枯渇しただろうか?
- ちょうど第一次石油危機の時であり、これは視聴率稼ぎの煽りであろう
- 宣伝機関の煽りは今となってもご健在である
- 宣伝機関の煽りをまともに捉える必要は全くない
- 根拠や理由が明確に示されていれば信憑性は出てくるが、明確な理由や根拠が示されずする主張は戯言であり妄言である。それは呪文であり、オカルトである。それこそ陰謀論である。
- Twitterは140文字制限なので主張しか書けないのは理解できる。しかし彼らはテレビでもあり、新聞でもあるので明確な説明や根拠、データを示すことはできたはずである。
- 32年後の2005年には「石油はあと40年は供給できる」と言われている
- 1973年から2005年まで時が止まっていたのだろうか?
- しかも10年増えているので、きっと我々はタイムマシーンに乗ったに違いない。
- 技術の向上で石油の可採量は増大する
- これは彼らのエコサイクルにうまく国民を乗せるための理由づけである
- エコロジー(生態) ではなくエコノミー (経済)
なかなか見つからない石油
- ダーシーが石油採掘権を得た後、石油探査を行うためのチームをペルシャに送った
- ダーシーはペルシャにはいっていない。
- 外注である。何かに似ている。
- イランとイラクの国境近くのチヤ・スルクに調査団を派遣した
- しかしなかなか石油は掘り当てれない
- 現地に行ってないダーシーも焦り始めた。ペルシャではなくイギリスで焦り始めた。何度も言うが、ダーシーはペルシャに行ってない。
- ダーシーの莫大な金はどんどんなくなっていった。赤字が無限に膨らんで行った。
- そんなダーシーの状況を心配し始めた国があった。イギリスである
- ダーシーが外国人投資家に利権を売っ払う可能性を危惧した
- もしロシアに利権が渡ってしまうと、ロシアが有利になってしまう
- イギリスはダーシーに投資家を紹介した
- その投資家は石油利権をイギリスの支配下に置いてくれる人間であった
- イギリスはスパイを利用した。そのスパイは神父に化けていた
- 偽神父はダーシーにキリスト教企業への売却を促し、まんまとダーシーは策にハマった
- ダーシーはバーマ・オイルに利権を売り渡し、株式の大部分も売却した。
- バーマは利権のほぼ全てを掌握することに成功した。
- その企業はイギリスのスパイが紹介した企業である
- と言うことは?
- ダーシーはその金で探査を継続したが、
- もはや何のための探査かわからない。生きがいなのだろうか。
- バーマはプロジェクトはもうすぐ終わりだから撤収するぞと決意した。その直後になんと、掘削装置から 50 フィートの石油が噴出した
- 何か美談のようだが、こんな良くできた話あるのだろうか?
- これは妄想だが、あえて石油を見つからないようにしていたら非常に恐ろしい話である。
- その後、ダーシーは石油企業の取締役に就任した。
- 新しくできたアングロペルシャ石油会社
- 彼はそれで納得したのだろうか?うまく納得させられたのだろうか?
- ダーシーはだしにされた。
取り消されたダーシー利権
- しかし1951年、ダーシー利権は永久に取り消されることになる、イランは石油を国有化したのである。自らの手に取り戻したのである。
- イランへのロイヤリティー支払いが減ったため
- 1930年代の世界恐慌による石油の需要、利益の減少
- 彼らは 年間純利益の 16%しかもらえない。自分の国の資源であるにもかかわらず
- アングロ・ペルシャ石油会社の子会社の利益はロイヤリティー対象ではなかった
- アングロ・ペルシャ石油会社は莫大な税金を英国に支払っていた。
- これはイランに支払うロイヤリティよりも多かった
- そしてラザ・シャーは、上級職にイラン人をもっと多く配置するよう要求した
- イランの石油労働者とその家族の状況は非常に悪かった。
賃金は1日50セントでした。休暇手当、病欠、障害補償はありませんでした。
- 労働者により良い賃金と昇進の機会を与えることを約束した
- が守らなかった
- よく約束を反故にする3枚舌外交が得意なイギリス
- ビルマのアウンサン(父)をはめたやり方と同じである。
- 1941年、英国と共産主義ソ連はイランを占領した
- そしてラザシャーは、辞任を余儀なくされた。
- 傀儡になりそうな息子を代わりにした。
- このように利権のために自分たちに都合の良い政権を立てるのが彼らの得意技である。
政権転覆
イランナショナリズム の高まり
- AIOCとアリ・ラズマラ首相はナショナリストに対抗した
- しかしラズマラが暗殺される
- アングロ・イラン石油会社は国有化される
- ナショナリストのモハメッド・モサデフが首相に選出された。
- 石油産業から欧米企業を追放した
- 英国は、外国にイランの石油を購入しないように圧力をかけた
- しかしそんな国有化も儚く散ることになる。お上はそれを許さなかった
- 1953年にCIAとMI6によって組織されたクーデターでモサデフ政権が倒された
- 通称Ajax作戦である
- 200 ~ 300人が犠牲になった
- ルーズベルトの孫のCIA役員のルーズベルト・ジュニアが作戦を実行した。
- 反モサデグの不安を熱心に扇動し続けた。
- キンツァーはAjax作戦は成功だったといい「この作戦は即時かつ広範囲効果をもたらした。一夜にして、CIAはアメリカの外交政策機構の中心的部分となり、秘密の行動は世界の出来事の流れを形作るための安価で効果的な方法」といった。
- 現在も使われている手法である
- モサデフは懲役3年を言い渡され、死ぬまで自宅軟禁された。支持者には投獄され、極刑が宣告されるものもいた。
民主的に選出されたイラン政府は、1953年8月19日、英国と米国によって組織されたクーデターに続いて転覆し、イランのモハメッドモサデフ首相は権力から追放されました。
https://en.wikipedia.org/wiki/1953_Iranian_coup_d%27%C3%A9tat
- 奪った利権の40%は米国の5つの大企業が握った
- 残りの40%はイギリスのブリティッシュペトリアムが握った
- 残りの14%はオランダのロイヤルダッチが握った
- 残りの6%はフランスのCFPが握った
石油カルテルの誕生である
シャーは イラン革命まで、26年間傀儡皇帝であり続けた。シャー政権はSAVAKを結成した。彼らは米国で訓練を受けた秘密警察である。彼らの任務は反体制の監視と検閲 であった。反体制の100人近くが処断された。
MR.Oと石油
- イランには世界屈指の埋蔵量を誇るアーザーデガーン油田がある
- マフムード・アフマディーネジャードが大統領に当選。彼は反アメリカである。
- ホルムズ海峡封鎖の話も出ていた。莫大な被害をアメリカに与えることができるため。
- オバマは武力行使も辞さないと脅しをかけていた
- アーザーデガーン油田には中共の中国石油天然気集団(CNPC)が参画している。
- CNPCは新セブンシスターズの一社であり、世界各国に魔の手を広げている
- アルジェリア、アゼルバイジャン、ミャンマー、オマーン、イラク、イラン、シリア、南スーダン、リビア、エジプト、カナダ
新セブンシスターズのメンツ (巨大石油企業)
- CNPC(中共)、NIOC (イラン)、PDVSA (ベネズエラ)、サウジアラムコ(サウジアラビア)、ペトロナス(マレーシア)、 ペトロブラス(ブラジル)、ガスプロム(ロシア)
- バラク・オバマは、1953年のイランのクーデターでのモサデフ首相の転覆において米国が主要な役割を果たしたと述べた。
- この問題は米国とイランの間の緊張の原因となっている
- CIAは、強制レジームチェンジを成功させた。オバマやソロスの強制民主化モデルもその一つである。
ロウハニのもとで突然近づくバラクオバマ
- オバマはイラン、アメリカの新たな始まりを提唱した
- ロウハニは西側との関係を改善すると行った
- ナショナリストに非難されるロウハニ
- オバマとロウハニはイラン革命以降初めての電話会談を行う
- そしてロウハニは第三次オバマ政権バイデンが内閣が2015年の核合意に再び参加するように促している
- CIA長官のウィリアム・バーンズ
- オバマ政権でヨルダン米国大使
- クリントン政権でウォーレンとオルブライトの特別補佐官
- イラン核合意の交渉者であり、ファシリテーター
茶番核合意の結果
- イランは数十億ドルの現金を受け取った。
- さらに13億ドルをイランに渡した
- 4億ドルのユーロとスイスフランをゲットした
- イランの資産1,500億ドルの凍結解除
これは中東情勢をもめされるための合意である
イランは石油輸出が可能になる
では誰がいったい得をするのだろうか?
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