- 文化大革命をまざまざと見ていた近平
- 皇帝の座についた近平
- 背後の大虎
- まとめ
文化大革命をまざまざと見ていた近平
1953年に北京で生まれた習近平である。彼の父は習仲勲である。父はCCPの中央委員会のポジションを得ていた。文化大革命で失脚するが。近平の父親はなんと失脚していた。失脚したままだと中共から見たら彼は中共の汚点である。そんな汚点の息子が今の中共の皇帝なのは引っかかる。彼はなぜ失脚したのか。
高崗という人間がいた。彼も中共共産党の高官であった。自殺するが。高崗は習仲勲と共に中共革命根拠地を形成した仲である。高崗は共産主義ソ連とお近づいていた。高崗はスターリンと仲が良かった。最初はソ連がモデルになってたが、脱ソ連運動が起こる。失脚して自殺する。本当に自殺なのかしら?中共ではよくあることである。政敵は自殺扱いされたり、精神病にされたり。近平のポスターに墨をかけた女は一体にどこに連れて行かれた?彼は権力争いに負けた。
彼と共に活躍した(活動した) 劉志丹や高崗の小説が出版された。そしてあの文化大革命が起こる。(簡単に要約するとぶっ壊し運動!) この運動の目的を説明すると
国家主席劉少奇から権力を奪い取ることである。毛沢東は大躍進政策で世紀の大失敗を遂げる。これはスターリンの集団化のパクリである。失敗するのは当たり前! この大躍進政策はアフリカに輸出されている。そしてソマリアやモザンビークの農業は壊滅した。農業で食っていけないから、彼らは海賊に転身した。
その海賊の足を洗わしたのは日本の社長である。日本は中共のつけを払わされる。彼らは紅衛兵を使った。革命には革命分子が必要なのである。扇動しないといけない。無知な人間を扇動して革命を起こさせる。BLMも同じロジックであり、ナワリヌイのために集められた民衆も同じロジックである。
この文化大革命を唆したのは江青である。習仲勲は小説を擁護していただろとして、粛清される。彼は16年間拘束された。
復活する。彼は全人代常務委員会副委員長まで上り詰めた。今古墳のような墓が建てられている。復活しているので中共からすれば汚点ではない。むしろ個人崇拝の道具になっている。
父親が刑務所入れられた時に、習近平は15歳である。
近平はその時の経験をこう言った。権力とは美しい物だけではなく、汚れ、嫉み、妬みなどの感情がおり混ざっているのである。私はより深いレベルで政治を理解した。彼はまざまざと毛沢東文化大革命のやり方を観察していたのである。
清華大学(裏口入学疑惑)で彼はマルクスレーニン毛沢東主義の研究に当てた。
彼は太子党なのである。父親が中国共産党の幹部であるためである。
皇帝の座についた近平
元々中国共産党内でランキングが低く、静かな印象が強かった近平がどのように皇帝の座についたのか?
近平最大のライバルである薄熙来がいた。薄熙来は政治局常務委員に入るのが確約されていた江沢民派(父親が大物薄一派であり太子党ではあるが)の人間である。彼の方が近平より目立っていた。そして薄熙来は王立軍事件で失脚するのである。王立軍は警察所長であったが、ニールヘイウッドの事件を調査していた。これやったのは薄熙来の嫁と言われている。で薄熙来に話持っていくが薄熙来は王立軍を平手打ちした。身の危険を感じた王立軍は証拠を握り締め成都の米国総領事館に逃げ込んだ。そしてオバマクリントンは亡命を拒否した。そして全員捕まった。
この件で近平は政治局常務委員が確約された。
そして国家副主席になる。この頃からバイデンと親交がある。彼らはお互いのことをよく知っている (骨の隋まで知っている。彼らは運命共同体である)
そして第18中央委員会にて共産党書記長に選出された。そして総書記(国家主席)に選出された。
ちなみに共青団率いる胡錦濤は李克強を国家主席に持って行きたかったと言われている。そんな李克強を差し置いて習近平をゴリ押しした人間がいる。
江沢民である。今の江沢民派と近平派の争いから考えると驚き仰天だが、当時は江沢民派から無害とされていた習近平だったわけである。彼は温厚だと思われて、かなり弱そうだった。
江沢民派の曽慶紅がいる(彼は太子党とも言われる) 彼は江沢民派の大物中の大物である。ちなみに二階俊博や古賀誠とつながってるとされる。彼が近平をごり押したとされる。中央軍事委員会弁公庁や太子党の近平君の先輩である。
江沢民や曽慶紅は時が来れば、薄熙来に置き換える計画もあったとも言われている。近平はこれを知っていたのかもしれない。彼は今刑務所の中である。
驚きであるが、近平は元々江沢民派であったと言っている記事もある。確かに江沢民か胡錦濤のどっちかについておかないと権力は握れないだろう。近平第一期の最初の中央常務委員会は江沢民派(上海閥)の張徳江や兪正声や張高麗が入っている。
その後に近平は自らの第3の派閥を作っていった。
中共が生き残るためには、汚職摘発が必要だと近平は言った。そして注意深く範囲を説明されず江沢民と胡錦濤は摘発の権限を与えたとも推測する人もいる。
そして反腐敗運動をして習近平の後釜を狙うライバルは全て粛清された。聖域に踏み込んで周永康を消した近平である。曽慶紅は最後の大虎と言われ続け、ている。
二期十年の任期を撤廃し、近平は終身皇帝になった
背後の大虎
近平かつ操るとくれば、近平が主語になる場合が多いのではなかろうか?
中共には八大元老がいる。彼らは引退しているが中共に絶大な影響力を保持し続けたままである。北戴河会議も元老の影響は強い会議である。
現存大物メンバーは胡錦濤、江沢民、温家宝、賈慶林、張徳江などである
そして元老から北戴河会議で厳しい批判を浴びたとされる近平だった。後任は胡春華か李克強などの名前がよく上がる。
近平は完全に中国共産党の権力を掌握できていないのである。彼一人で中国共産党を動かしているわけではない。元老が大きく関わっている。一応御膳立てもしてもらった関係でもある。
近平が倒れて手術した原因は温家宝や賈慶林の秘密のお手紙が原因ともされる。
なんて書かれてあったんでしょうか?さぞかし辛かったんだろう。。
対米関係が冷え込みまくったためである。温家宝は近平に圧力をかけれるとも言われる。温家宝は元々胡錦濤時代の国務院総理である。そして賈慶林は江沢民派である。
これを考慮するといくら近平派と江沢民派が争っているとはいえ、胡錦濤派や江沢民派の大物クラスを押さえ切れていない近平なのである。江沢民派の小物は粛清してはいるが。近平の背後には派閥の大物元老が監視をしているのである。
張徳江は石油閥のドンである。彼はいわゆるDSと金儲けしてきた連中である。
近平は中国共産党独裁の独自の世界覇権を握ろうとしている。
まとめ
近平は元々江沢民や曽慶紅やオバマのバックアップがあり皇帝の座についた。
近平は江沢民派と元々繋がりが深く、無害で弱そうだから反抗しないだろうとされていた。近平が副主席時代にはバイデンとあっている。近平がまだ江沢民の後ろ盾があった時だ。
しかし近平は江沢民派を裏切り、独自の近平派を作っていった。
だが江沢民派 vs 近平派の戦いがあるとはいえ、近平は江沢民派や胡錦濤の大番頭は押さえ切れていない。それは温家宝や賈慶林の秘密のお手紙手術事件を考慮すると明白である。長老から叱責されたという話はよくある。
江沢民派石油利権連中はDSと長年商売をしつづけてきたが、近平は中国共産党独自で世界覇権を取ろうとしている。
つまり DS と 江沢民派 vs 近平率いる中国共産党近平派(独自世界覇権)の戦いが起きているんではなかろうか?そこにトランプーチンが混ざると三つ巴の戦いになる。(ただ近平は完全に中共をコントロールできていない。元老にも配慮しないといけない。)
そうするとソロス(DS側)がダボス会議で近平を非難した理由もわかる。
バイデンは今仲良しの近平をどう思っているんだろうか?
お互いの敵を考慮して DS と中共が手を結びトランプを攻撃する場合もある。なので利害一致、敵の敵は味方理論である。
どちらも共産主義、世界革命派であることに間違いないので、どちらも有害であることは間違いない。
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